いにしえのお鞍  コンテンツへ

 

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 自分が排斥したい事は排斥してもいいけれど、それを社会全体からも排斥したいと思ってはならない。あたしは「クララが立った」のアニメは、過去にいじめられた思い出があるから見たいとは思わないし、見ろと強制されたら反発もする。けれど、だからといってアニメの放映をやめろとテレビ局に言う権利はあたしにはない。たった1人の個人的事情の為に、他の人の感動にケチをつけていい訳はない。そんな資格はあたしにはない。自分は見たくないから勘弁して、それだけで十分だ。

 自分が何かを嫌い、許せないと思うのならそれを貫けばいい。それが個性という奴だ。しかし、他人も、社会全体もそれを許すまじと、求める資格は誰にもない。社会全体によって違法とされるもの以外は。個性の多様化を否定すれば文化の停滞と衰退を招く。自分が気に入らない芸術品や民族を、世界中から消そうとしたのがヒットラーだ。民族差別はともかく、美術品の好みはそれぞれ違ってていい、ヒットラーの趣味が悪いとは思わないよ。けど自分が気に入らないからと言って、権力の力で潰しちゃいけないよ。

 

 家電製品が、機能がゴテゴテしても使い切れないんだから、必要なものだけでいいから安くしろ、という声は昔からあったもんね。それに応えて「ジェネリック家電」なんて言葉があるのか、へえ。最新の機能なんていらない、動きさえすればいいというユーザーには、型落ち品で十分だもんね。あたしもその口で、PCを新品で買う気もないし、通販で買ったラジカセは可動部はバネ式、テープは手でひっくり返すという、まさに昭和仕様だ。

 ただ、大メーカーのものなら修理がきくけど、ホームセンターや通販の格安家電は壊れたらそれっきりだからご注意、との指摘があったのは、確かになるほどと思った。100円ショップで買ったものに高品質を求めてはいけないのと、同じ事だね。

 

 生活保護に関する議論が百家争鳴の昨今、倫理人道をひとまず置いといて科学的論理的な事だけを言えば。敢えてぶっ飛び見解を示せば、「水際作戦」で役所から体よく放り出されたのなら、「餓死する位なら無銭飲食で警察呼んでもらえ」だと思いますよ…そんな事を言ったら明らかに犯罪を勧めているようなもんだけど、本当に飲まず食わずで死にそうならば、命に係わる事はまさに「衣食足りて礼節を知る」以前の話、数日後には死にそうな人に法律だの倫理だのを求めても意味がない。かつての「闇米判事」山口氏の餓死が馬鹿げているのならば、無銭飲食をせずにおとなしく餓死するのだって馬鹿げている。食管法だろうと刑法だろうと違法は違法、犯罪は犯罪だ。そして警察署なり法廷なりで、水際作戦の違法性を訴えれば、その昔の朝日訴訟のごとく、司法の場に国の冷たさを問う事になって、日本中の困窮者の救いになるかもしれない。俗に刑務所が福祉の肩代わりをしている、と言われる現実をこの際、白日の下にさらけ出せばいい。

第一、本当に餓死したら遺体が傷んで大家さんやご近所の迷惑になる。それを金額に見積もった損害と、無銭飲食の一食の額はどちらが大きいか。それに、生活保護で食べていくのも、刑務所で食べていくのも、同じ「税金で食べる」には違いないんだよ。まさにここが、倫理には無関係に、科学や経済で考えなきゃいけない部分だとあたしは思う。

それでも、例え餓死してでも犯罪に手を染めるのは嫌だ、というのであれば、却ってその人の志の、深さ潔さに感服します。人はパンのみで生きるに非ず、太った豚より痩せたソクラテス。それは、一見命を粗末にしているように見えても、自分が死んでも踏切で倒れた人を助ける、国と身近な人を守るために特攻機に載る、そういう心情と根っこは同じであって、他人が強制することが許されない代わりに、本人が自らの魂に従ってそれを選択したのなら、他人は黙って支持するしかない。山口判事はまさに、餓死という結果が待っているとしても悪人になりたくないという、高潔な魂の持ち主だったとあたしは思っているし、その報われない最期を痛ましいと思いこそすれ、バカバカしいとは露ほども思わない。

もちろんですよ、これはあくまで、福祉事務所にも袖にされていよいよ困窮した人の、超法規的な最後の手段です。頭と体力を使う余地のある人は、その前に自力で何とかしなきゃならないのは言うまでもないし、働くよりも刑務所で暮らそうなんてけしからん人間を認めはしませんからね。

 

 児童福祉の関係者からブーイングの嵐らしいドラマ…子供が傷つくとかいじめのもとになるとかいうのだったら、それこそ「18禁」を考えてはいいんじゃないのと思ってしまった。もっとも、テレビの世界に年齢制限は不可能だが。

 見てる人はフィクションだとわかってるから、というのはそうだろう。ドラマの内容と現実とを混同・誤解した挙句、当事者を冷たい目で見るのは、ごく一部の視聴者だろうというのもその通り。しかし、社会に混乱や迷惑をもたらすのは、まともな大多数者ではなく、一握りの少数者なんだよね。電車に乗る男全員が痴漢でもなければ、飲食店でアルバイトする学生全員が非常識行動をする訳でもない。僅かな少数者がとんでもない事をするから、全体からみればごく一部である不心得者を極力出さないために、社会は各種の規制をしなければいけなくなる。

CMにも、これは演出ですフィクションですとの文字を頻繁に見かける。大部分の人はそれをわかっている。わからない、というより自分の悪意を正当化したい奴に備えて、わざわざあんな事を断っている。だから、実害が予想されるのならば、「大部分の人はまともだから」という見解には説得力がない。

表現の自由はもちろん大切だけど、モデルにされた人が何らかの実害を蒙ったと言って、作家を訴える裁判は結構あるのだからね。

 

 大家さんが自分で住んで、空き室を貸すタイプのシェアハウスって、その昔の下宿とどう違うんだろう?食事を作ってもらえるか否かの違い?

 

 雪国限定かもしれませんが、雪が降ると、子供は何して遊ぼうかと考え、大人は除雪の手間を考える…子供は何でもおもちゃにして、何事も楽しみの材料にしてしまえる。大人はそうじゃない、リスクやマイナス面をまず考えてしまう。

 

 育児は健康な大人なら誰でもできる(可能性レベルの話ですけど)「種を付ける」のは健康な大人の男性ならだれでもできる。しかし妊娠出産は適齢の女性でなければできない。

 だったら、少子化を本気で憂えるなら社会は彼女達に対して、ともかく産んでくれさえすれば望みは何でも聞きます、面倒な事はこちらが引き受けますと、頭を下げる位の捨身に出てもいいんじゃないのか?とまで思えてきたぞ。基本的には適齢期の女性や小さい子供のいる女性の功績に対して社会が十分に報いていない、その事が根底にあるんでしょうが。

 男じゃなくちゃ軍人にはなれないのだから男は大事にしろ、というのが戦国社会軍事社会であり、だったら女性でなければできない出産に対して、その社会的な役割を正当に評価して欲しいものだ。

 

この所多いような気がする工事現場や工場関係の爆発事故。一方では水素燃料電池の技術がどうのという報道もあり。

 クリーンで再生可能な夢の燃料、とも言われる水素。けれどあたしはヒンデンブルグ号の悲劇を思い出すもんで、町中が水素タンクだらけになったら安全性はしっかり担保してもらわなくてはと思ってしまう。大局的に見れば原発事故よりましかもしれないけど、事故で亡くなる1人にとっては、死亡事故に巻き込まれたことが悲劇なのであって、原因がメタンでも原発でもプロパンでも水素でも火山でも同じ事。

 そういえば原発でだって、爆発したのはウランじゃない、水素でした。 

 

 某冷凍食品メーカーがお騒がせしてる中、他のメーカーはお客さんを増やすチャンスか、と思ったらとんでもないらしい。冷凍食品全体のイメージが悪化してとんだとばっちり。ケータイならドコモがヤバかったらソフトバンクに、というような訳にはいかないんだね食品業界は。外食産業だって、過去にもそんな例はあったもんねユッケとか鳥インフルとか。下手すりゃ人命にかかわる商品で、冷凍食品や外食メニュー自体は食べなくても困るものじゃない、食品全体の中にいくらでも代替品はある。

 何だか偉い日本人1人がおかしな事を言ったら、そのまま日本人全体が警戒されてしまうのと同じ事…自分と何かが同じカテゴリーに属する仲間には、世間に敵を作らないように忠告しておかないと、同類と思われて自分に跳ね返る。例えばあたしにとってのそれは、競馬ファンだったり山形人だったり、単身中高年女性だったりするか。それが極端になれば偏見差別を通り越してヘイトスピーチになりかねないんだ。

 

 世帯主が買ってきた牛丼をよく見たら賞味期限、2時間になっていた…厳密な意味などなく単に、製造時間表示から2時間たったら廃棄っていう、店側のマニュアルなんでしょう。

 片方では世界中の廃棄食料で飢餓の子供達がみんな養える、なんて説もある中で、食べ物が商品である立場の人は、安全確保の為に廃棄というコストを掛けている。それは店側と、それから日本の消費者には安全をもたらす。世界中の食糧事情を無視すれば。食の安全をと考えれば考えるほど、少しでも危ない可能性がある食品は廃棄されることになる。安全な食品が、無駄なく世界中に行き届くようにするには、今以上のコストが必要になるんだろうか。

 安全確保にはコストが掛かる。全ての人に安全を提供するのが至難の業という事も現実に、ある。震災の被災地に住んでいた人が、より安全な場所に移転しようにも場所は限られているから、津波の危険が十分あっても手元資金に見合った場所に住むか、高い金を出して安全な場所に住むか、というのが現実だ。安全を最優先にと考えれば考えるほど、実は復興は進まない。住んでいた場所がもともと危険な場所だったのだから。土地は食べ物とは違って、いわゆる開発を全くせずに地球の資源から陸地を生産してまた資源に帰す事は、人間の力ではできない。多分。人工的に海底火山を爆発させる事が可能になったとしても、おそらく地球全体の気候やエネルギー事情がおかしくなるだろうからな。

 

 初日の出、という言葉があるのなら、1年の最後の日没を表現する単語はないのでしょうか。

 

 私が納得できない意見に対して、単に批判・反論を抱いただけで、それっきり無視するのはいけない。その見解も認めつつ10%位は違った側面もあるのではないかと、そういう提言をしていきたい。本気でディベートしたら負けない自信はあるけど、議論の勝ち負けよりも真実や妥当性の追求の方が大事だ。

 

 他人の作った物に文句があるなら自分で作ればいい。世の中に受け入れられる物は、大資本がないと作れない品物ばかりではない。

 

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 カラシニコフ氏の懺悔を、見習って欲しい理系のセンセは日本にも大勢いるんじゃないか…古くはノーベル氏も、アインシュタイン氏も痛感した事だ。人類に幸福をもたらすはずの科学の暴走が、人類を不幸にもすると。

 

 鉄道にはねられた認知症高齢者の遺族に、鉄道会社から巨額の賠償請求…って、人ごとじゃないぞと思って、かわいいプリ姫を見てしまいます。

 プリぃ、勝手にお外に出ちゃダメよ〜〜線路に入って万が一新幹線にぶつかったら大変な事になるのよ〜〜ん。

 そしたら世帯主は「うちの猫じゃないと言え」無責任飼い主め。

 

 本来は地元の在り方を決めるための地方選挙を、党政拡大の手段としてるような人が、いざ東京都議選には「原発問題を絡ませないでほしい」というのはすごく矛盾してる。今までに、与党の失政のあおりを食って地方選挙が左右された例がどの位あると、思ってるんだか。地方は国の2軍でも代理戦争でもありません。都議選に国政を絡ませたくないなら普段からそうすることだ。

 

 経済活性化の為になり、企業の要望にも適うからと戦後は核家族化を推進しておいて、いざ経済活動に参加するにはハンディのある人が取り残されると、とたんに旧来の家族制度を振りかざす。

 企業に働き盛りの大人を吸い上げるだけ吸い上げて地域社会の崩壊を招いておきながら、その地域に高齢者や子供が取り残されると、とたんに地域社会の連帯が叫ばれる。

 どうなってるんだろうねえ、この国この社会は。

 経済にとって効率的な社会を作るのは悪い事はない、それが社会を豊かにする。けれど、そのために失われていく旧来社会の機能は、新しい制度の中にきちんと補完しなきゃ。それが生活保護であり、介護であり育児支援のはず。家には寝に帰る大人ばかり、隣の人も知らない大人ばかりになり、地域や親族間連帯が機能しなくなり、ケアの為の国家予算や人手が必要になってきて、それでもそんなものは農村型大家族や向こう三軒両隣がどうにかするものだと思ってるから、零れ落ちる人の悲劇が後を絶たない。

 

 図書館に行くとつくづく思い知る。まだまだあたしゃ、知らない事だらけだ。

 

 文明は、不快だけど理に適っている事を、快適だけど不合理な事に、置き換えていったのね。例えば、朝早く起きて日が暮れれば寝るという生活は、現代から考えれば退屈だしお金にはならないけれど、実に健康的だ。電気による照明が普及したことで、楽しい時間も仕事も増えたけれど、人々は過労となり、浪費に溺れるようになり、心身の健康を害してしまった。

 

 たまたま英国史に関わる本を続けて読んでいて、サッカーに関して「自国発祥のスポーツを国際化するには異文化の受け入れが欠かせない」とあった。さてサッカーや相撲は、日本の伝統が異文化によって解釈していく事を、良しとするだろうか。伝統精神以外を認めなかったらローカルスポーツはいつまで経ってもローカルスポーツではない。

 もちろん、英国発祥の競技がみんな国際化した訳でもない。クリケットやポロは英国紳士の嗜みでも、世界中が受け入れるだけの普遍的価値が育たなかったんでしょう。遅れて超大国になったアメリカが、発祥の地になった野球だって、サッカーに比べたらずっと認知度が下がる。

 

 一般家庭というか個人生活に、スマホなどのITが普及したのはいいけれど、通信費のウェイトが高くなってしまい、所得の低い人はしわ寄せが食費にまで影響が出ている有様…そんな事を、サポートが終わっても経費がかさむのでXPパソコンを買い替えられない企業や役所、という問題に見てしまった。

 便利になった分、誰にとっても最低限必要と考えられる生活・営業のコストが上がってしまう。最初にまとまったお金がないと何にもできない、現代社会。裸一貫からのし上がるのがますます、大変になってくる。1度裸になったら立ち直れない世の中でもある。ホームレスになった人の命綱が、家を借りるお金よりケータイ代って、なんかおかしいとあたしは思うんだけど。

 

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一昔前なら、昔話を聞かせてくれるのが親だったから、ご飯を作ってくれるのが親だったから、おもちゃを作ってくれるのが親だったから、服を作ってくれるのが親だったから、そして体の中に宿し苦しい思いをして生んでくれるのが親だから…親孝行という道徳の基礎はそこにあった。親の愛情と、無償の奉仕とがそこにはあって、だから親は愛情返し恩返しすべき相手となった。

そのうち、親のしてくれた事の多くが、市場経済の提供するものになる。確かに親は費用負担はしてくれる。スマホやコンビニやトイザラスや西松屋に対して。しかし実際に子供の為の負担労働をしてくれるのは親ではなくなる。親が働くのは子供相手にではなく市場相手だ。そこからもらうお金を、子供に手を掛ける代わりに代金として市場に支払う。やがては子宮も人工化されたら、280日節制しながら体内に愛情を注いでくれる母親も、生みの苦しみを味わう人もいなくなる。

そんな時代に、孝行し感謝すべき相手は誰なんだろう。社会システムに対して、科学技術に対して、市場に対して、孝行を尽くすことになるのか。自分が育ったのは親の愛情の結果ではなく、経済活動の結果に過ぎなくなる。ただ、子供が苦境に立った時、親なら泣いてくれるが、システムや市場は決して泣いてはくれない。

 

 自分で書いた字を見るのに虫眼鏡とは…老眼鏡が必要なほどに、老いましたな。

 

 理系はまだしも文系の大学生は、楽に単位を取れる教科ばかりとって本気で勉強しようとはしない。企業もそれを知ってるから就職試験の際に学業成績を確認しようとはしない…そんな事を日経のサイトで見た。実際に、日本人は高校生までは猛勉強するけど大学生は勉強しないと、昔から言われてるみたいだね。それが学歴社会の一面だったりする。

 あたしが何を思ったかと言えば、だからまっとうな政治やあるべき社会を考えるだけの力を、学生時代に身に着けない若者が増産されて、その結果、有権者として政治家を選ぶ目や、自分が政治や経済の現実に対し何らかの頭を使おうという態度が、育たないんじゃないかねえ、と。大学の文系科目をまじめに勉強すれば、いい社会いい政治へのヒントはたくさんあるはずなのにと、あたしは思ってしまうが。(伊達に交通費掛けて大学の図書館に入り浸ってる訳ではない)よき有権者たる資質、それは就職や収入という、短期的で目に見える実利ではないから、顧みられるケースが少ないだけか。それによき有権者は、自分の利権の為に政治や経済を動かしたい奴にとっては天敵なんだろうから、積極的に育てたら自分の首を絞める事になるしさ。

 更に言えば、社会人として必要な教養や判断能力の素地を、大学の文系科目の学習によって身に着けてこない学生を採用した結果、ブラック企業とか偽装とか不適切対応とか、目を覆うような企業行動に、不勉強な従業員や役員が加担することになるんでしょう。企業によっては、社費を出すから社会人大学院で勉強し直してこい、てな事にもなってるようで。これじゃ大学教育に掛けた親や社会の費用はドブの中だ。文系科目は何の為に学ぶ価値があるかと言えば、やっていいことと悪い事の線引きを自分で判断できるようになる、ことじゃあないかと思う。

 

 天候不順がもとで野菜価格高騰、なんて記事を見ますと、野菜の国内自給率は決して低くないのはわかる。が、今回の高騰原因の1つが円安による温室用重油価格の高騰と聞けば、暗然たる気持ち。食料そのものを国内で作っていても、燃料や肥料、ひいては種を輸入に頼っていたら、外国頼みの危なっかしい食料政策である事には、変わりないもの。それが本当の、自給なのか。いくら国産牛でもエサが外国産だったら自給率にカウントしない、それと大して変わりないって事だ。そしてそれには飽食日本の不自然な需要があり、だから不自然な供給の為にコストを掛ける。季節に応じてその時々に入手できる食材を、地域ごとの工夫を凝らして味わう時代じゃない。そういえば調理法も、地方の特色よりも全国画一化の方角に動き、食材の画一化とともに食生活の画一化を生み、きっと、世界文化遺産になった古き良き和食は庶民の食卓からはすたれていく。だからこそ逆説的に「ケンミンショー」なんて番組が受ける。和食文化の伝統を継承させたのは温室栽培で育った冬のキャベツじゃない。絶滅危惧種となった日本旧来の在来作物や、昔は日本近海にいたはずの魚、山野に生息した鳥獣の肉だ。

 

 学力テストに関して、スマホの影響とか生活習慣の影響とか、そんな調査結果がいくつか出ています。そうだよね。そもそも「どんな子供が」好成績を上げるのかを調べるための学力テストであって「どの学校が」 好成績かを調べるためのものじゃない。

 

若い人がプア充でもいいと思い始めたらそれは、少々しんどい思いをしても高収入を得ようとのモチベーションが下がり、その結果どうなるか。そこを、ハングリー精神もしくは家族愛を持つ外国人が、労働市場として狙ってくる。

NHKで、バスの運転手が不足してダイヤが維持できないなんて問題をやってましたが、一見バブル時代の人手不足倒産に似てる。

さて対策は?北陸道事故が図らずも現実を示したように外国人を導入するか、就職にあぶれる大学生に声をかけるか(でも卒業して即働ける業種じゃないからねえ。まず普通免許を取るところからスタートしなきゃいけないし)新聞奨学生や看護師学校のように、高校生に大学進学奨学金を給付して代わりに一定期間バス会社で働いてもらうか(大学で勉強する事とバス乗務に必要な技術はまるっきり無関係なのに奨学金を出す筋合いがあるか、だが)あるいは保育所を確保して若い女性を運転手にするか(女がバスの運転なんて大丈夫か?との抵抗があってもそれはまた別問題だろ非常事態には)

機械ができない仕事に人材投資と人件費が掛かるのは宿命だ。じゃあ無人で済む自動運転のバスを、技術が許しても客心理が許すかどうか。

思うに、バス業界の労働条件が低いというが、就活市場でブラック企業とされる会社の労働条件と、バス運転手のそれは比較したらどうなんだろう。少なくとも運転手は正社員だろうから。もっとも、ブラック企業に非正規で入って、頑張って出世して社長になる事は不可能ではないが、バスの運転手からスタートしてバス会社の社長になるのは難しいかもな。乗務の能力と経営の能力は全く別だろうから。(さっき書いた「運転手に奨学金を出して大学出しても会社にメリットがあるか」の落とし所を、敢えて探せばここでしょうか)

最大のバイアスは「大学出たのに運転手なんて」という心理的抵抗なんでしょうね。プライドというか勉強コストの徒労感というか。